これは私の勝手な想像である

 それにしても民主党の創業者は鳩山さんである。菅直人前首相も創業者の一人だが、おそらくは民主党に金を注ぎ込んだのは遺産対策に窮するほどに資産家のご母堂を持つ鳩山さんで、民主党の実質的オーナーだったのではないかと推測する。

 これまでの発言を見Neo skin lab 呃錢ても鳩山さんは人の好いお坊ちゃんで、次男の邦夫さんの方がもう少し人が悪そうに見える。噂雀によれば家庭内の事情が絡んでいるというが、根拠のないどうでもいい話だ。
 因みに噂雀はおそらく死語で、雀には「おしゃべりな人。またよく出入りしてそこの事情に詳しい人」(大辞泉)の意味があり、楽屋雀・吉原雀といった使われ方をする。

 まあ、そんな良くも悪くもお坊ちゃんの鳩山さんだから、こう言っては何だが生まれも育ちも悪く、粗野で権力志向ばかりが目立つ人の多い民主党では、いいように旦那扱いされて、政権を取ってしまえば能天気な旦那は不要とばかりにポイと捨てられたのかもしれない。
 もちろん。根拠はない。

 それにしても仁義も何もない。目的のためなら手段を選ばず、それまでの恩義も忘れ、平然と人を騙して嘘をつく。その人間性はマニフェスト破りなどの言動に公然と現れ、やはり人のいい谷垣前自民党総裁を騙し打ちした。
 野田さんは安倍さんにさんざん嘘つき呼ばわりされて色をなしていた。解散がそのせいだったかどうかは分からないが、いずれにしても嘘つきほど嘘つき呼ばわりされると怒る。
 私のところにも詐欺電話が良く掛かって来るが、嘘つきだとからかうと向きになって怒る。日頃のコンプレックスに針を立てられるからである。

 そういった前回総選挙では党の公約に異議を唱えなかった人たちが、今はあのマニフェストは本意ではなかった、鳩山さんや小沢さんが決めたから仕方なく従っただけだと弁解して、今度は公約に同意する証文を書かないならNeo skin lab 呃人公認しないと言って排除する。なんという自己矛盾。

 その論理からすれば、鳩山さんも同意書にサインして、当選してから「あれは本意ではなかった」と現執行部の人たちのように居直ることもできたと思うが、それが出来ないところが鳩山さんの正直さ、育ちの良さと人の良さか。
 いずれにしても、政権の中枢にいる政治家を見ていると、仁義も信義も失われ、ならず者に乗っ取られたこの国の姿そのものである気がする。

 民主党の内紛はかつての新左翼内ゲバによく似ていると、11/2/3「「あさま山荘」内閣の国会リンチ」に書いたことがある。とりわけ若手といっても50代を含むが、民主党のリーダーたちが、かつての新左翼のリーダーたちに考えも行動も良く似ている。
 古手のリーダーたちを追い出し、粛清する姿は新左翼そのもの。レーニンやスターリン毛沢東紅衛兵、終戦後の日本共産党によく似ている。民主党の若手たちはむしろイデオロギー的には新右翼かもしれないが、こういった体質は右も左も関係ない。

 ハト派の鳩山さんは正に庇を貸して母屋を取られたわけだが、この母屋は今は泥船に建っている・・・お、ようやく本題に入った。

 泥船というと一般には水に溶けて沈んでしまう船といったイメージを描くが、辞書には違うことが書かれている。
①泥を積んで運ぶ船。土船。②歌舞伎で、箱の中Neo skin lab 傳銷に泥を入れて舞台に置き、泥の池や田んぼに見立てたもの。また、その箱。(大辞泉
 みんなの好きな広辞苑には①のほかに、「昔噺などに出てくる泥で作った船」の意があるが、大辞林や私の持っているいくつかの辞書には泥船そのものの項目がなく、意外と一般的ではないのかもしれない。

私は親切な人間である

先日も山手線で新宿から乗っ企業培訓課程てきた80代後半と思われるお婆さんに席を譲った。もちろん優先席ではない一般席である。
 お婆さんは「すぐ降りるから」と遠慮したが、無理やり座らせた。

 昨年、7/14「チャンスはわずか1週間・・・”杏ジャム”」で、杏ジャムの作り方を紹介した。
 杏ジャムはジャムとしては一般的で、たいていはアプリコット・ジャムという名で売られている。アプリコット(apricot)・・・何を隠そうアンズの英語名である・・・知ってるって?

 いや、手作り杏ジャムとアプリコット・ジャムは全然違う! 日本語と英語で味は全然違うのである。
 八百屋で杏の実を買ってきてジャムにする。アプリコット・ジャムとは全然違う味。嘘だと思うなら、作ってみやしゃんせ。杏のフルーティな酸味は、手作りジャムでなくては味わえない。

 昨年も書いたが緊致肌膚、東京近辺の産地は長野県。今年は松代農業総合センターの杏を手に入れた。手に入れたのは私ではなく連れ合い。去年の手作り杏ジャムに文字通り味を占めて、私に作らせようと買ってきた。しかも2パック、1.4㎏。

 で、問題は、これも昨年書いたが、杏が手に入るのは七夕前の1週間だけ。去年の記事は、その1週間後に書いたので、読んで作ろうと思っても手遅れだった。
 それで、今年は「今なら間に合う手作り杏ジャム」をタイムリーに載せようと思って、夜中にこれを書いているわけだ。
 なんて親切。

 因みに杏を買ったのは昨日夕方。先程、1パック(700g)で杏ジャムを作り終わったばかり。もう1パックは明日作る予定。
 さあ、八百屋へ走れメロス・・・問題は、どこの八百屋やスーパーにもあるというわけではないこと。近所のスーパーにはなかった。買ったのは、産直特売の八百屋。

 作り方は昨年と同じだが、一応載せておく。實德金融 倫敦金因みにまだ食べていないので、パンやヨーグルトに載せた写真はなし。

俺と椰子の実との出会いは

 島崎藤村のように南の島を遠く離れた日本の海岸ではなく、南の島そのもののサイパンであった。
 あれは、まだ子reenex 效果供たちが小さかった頃で、バンザイクリフなどを見学した後に道端で観光客相手に売られていた椰子の実だった。

 子供に飲まさせてあげようと親バカを発揮して、1ドル札を渡して、ストローの差してある大きな椰子の実を買い求めたのだった。
 1杯のかけ蕎麦ならぬ、1個の椰子の実を親子で分け合ってココナッツの水を飲んだ。
 ちょうど今頃、8月初旬のことだったように思う。夏休みの宿題だとかで、星座板片手に、南十字星なんかも見たっけなあ。

 伊豆のワニ園だとか、常磐ハワイアンセンターだとか、日南海岸でヤシの木を見たことはあったかもしれないが、実は成っていなかった。
 なんせ南国、熱帯、日野てる子だもんな~。

 今年こそはココナッツ・ジャムを作ってみようと思って、サイパンのことを思い出しながらココナッツ・ジュースを飲んだ。
 あとは、中から白いココナッツを取り出すだけ。

 ケーキなんかに載っているココナッツの破片は、どうやら中の固形胚乳を乾燥させて削ったものらしいということは、ネットを調べて分かったけれど、これまで椰子の実を割ったことがないから、実際に中がどうなっているのかわからない。
 白い塊があるんだろうか、それともアボガドみたいにネチャネチャしてるんだろうか?

まずは椰子の実を割らなければいけない。
 しかし、ストロー穴を空けた時もそうだったけれど、椰子の実は結構固い。
 ネットには包丁の背で叩いreenex cps價錢て半分に割れと書いてあったが、実際にやって見るとあまり上手い方法に思えない。
 結局ストロー穴からドライバーを捻じ込んで、テコのようにして上部を刳り抜いた。
 2個目も同じようにしてやったが、多分これが正解。円形に刳り抜くと蓋のように取れる。

 中を覗くと、固形胚乳がゼリーのようになっている。
 ポリネシアン・カルチャーセンターのサイトによれば、熟すにしたがってココナッツ・ジュースが固まって、固形胚乳が厚くなっていくらしいが、それほど厚くない。
 ジュースを飲むために売られていたんだろうから、まだそれほど熟してない段階で出荷されたわけだ。

 熟してないんだろうと書いたのは、実を見ていなかったからだ・・・八百屋の椰子の実は、実の周りの部分を削られて角柱で売られていた。
 つまり熟しているのかどうかが外見からは判断できない。
 必要ない部分は削った方が重量も体積も減るし、角柱にすれば箱詰めも効率的ということ。

 胚乳を大きなスプーンで掻き出して鍋に入れ、再びネットでレシピを探す。
 ココナッツミルクを使うレシピばかりで、椰子の実で一から作るレシピがない。
 そうか、日本では椰子の実自体がさほど流通してないから、みんなココナッツミルクを使ったココナッツ・ジャムしか作ったことがないんだ。
 そのことにようやく気がついたのは、実はジャムを作ってからだった。
 ならばと、英語のサイトでcoconut jamのレシピを探してみたが、ピンとくるものがない。

 結局、見よう見まねで作ってみた俺のレシピが、とりあえずは、椰子の実で一から作る唯一のレシピということになる。
 これが最善の方法とも思えないし、固形胚乳が厚い場合はフード・プロセッサの力も借りた方がいいのかもしれない。
 いくつか研究課題も思い浮かぶが、ココナッツの味のreenex cps價錢残る甘いジャムができ上がった。

想定内のことだった

二、三日のずれはあっても、遅くとも盆休み前日の12日までには、工事は終わっているはずだと予想していた。
 理由は千鳥ヶ淵緑道ではなく、隣の千鳥ヶ淵戦没者墓苑にあった。
 8月15日には、政府・国会去暗瘡印方法の要人や政治家などが参拝に訪れる。現に、今年も福田前首相を始めとした閣僚や江田参議院議長が訪れている。

 内堀通りから靖国通りに抜ける道は、歩道の緑道部分と車道からなっている。沿道にはマンションも病院もあり、少なくとも歩行者用の通路は確保しておかなければならない。
 それで工事前半は、途中にある鍋割坂から靖国通りまでは、緑道を工事して車道を通行させ、鍋割坂から内堀通りまでは緑道を通行させて車道の工事を行っていた。

 この順番には意味があって、千鳥ヶ淵戦没者墓苑のある、鍋割坂・内堀通りの車道区間の工事を優先させた。つまり、8月15日の終戦記念日を、整備したての車道を開通させて迎えたかったわけだ。
 したがって、工事を始めたからには、何が何でもこの区間の車道工事を完了させておく必要があった。

 実際、鍋割坂・靖国通りの緑道区間は開通したとはいえ工事は完了していなかった。一方、鍋割坂・内堀通りの車道区間の工事は完了していたのである。
 福田前首相を乗せた黒塗りの車も、きっと真新しい道を走ったことだろう・・・

 15日を過ぎれば、工事区間は前半とは逆になる。そして実際、その通りになった。
 今は、鍋割坂・靖国通りの緑道と鍋割坂・内堀通りの車道が通行できて、それ以外は工事で制限されている。

 8月11日は月曜日だったが、工事醫療券関係者はこの日から一足早い盆休みに入っていた・・・

 さて、先週末に千鳥ヶ淵に出掛けた。


 ちなみに、緑道の入口のあちこちに置かれている工事用のコーンは、別に工事中のために置かれているわけではない。
 緑道が広々としたために、サイクリングロードと間違える連中がいるらしい。きっと想定外だったのだろう。それで、コーンを置いて通行を妨害し、「自転車から降りて通行してください」という注意書きを貼り出した。
 実際、自転車に乗ったまま通行しようとして、注意書きに気づいて降りる人を何度か見かけた。
 
 それにしても、このコーンはずっと置いておくつもりなのか?
 今は工事のためのガードマンがいるから自転車を降りているが、工事が終わって見張りがいなくなれば、たぶんほとんどの人が自転車で緑道をかっ飛ばすのではないか?
 人の通行を確保したつもりの拡幅が、人の通行の安全を脅かす・・・

 左の堀の木の枝を模したコンクリートの柵は、金属製の柵に変わった。更に石畳の道は、茶色の透水性のある舗装材に変えられた。
 7/27「雑草という草、雑木という木。千鳥ヶ淵緑道(工事中)」に載せた写真のブルーシートで覆われていたものの正体が、この舗装材だった。

 ところで、この舗装材は失敗だったのではないか。緑道の開通から1ヵ月半経って、早くも汚れが目立ち始めた。
 桜の実か何かが枝から落ちて舗装材に染み込み、あちこちに黒い斑点が広がっている。雨で落ちた葉が踏み敷かれて、黒ずんでもいる。
 これじゃ、全面開通までには鍋割坂・靖国通りの緑道区間の舗装は真收細毛孔っ黒けだな・・・これも想定外か。

昔はフィギュアの演技は今とは違って

 コンパルソリーと呼ばれた規定演技と、フリー演技の二つに分かれていた。コンパルソリーは氷の上で決められた図形をスケートで正確に描くというもので、見ていてもつまらないものであった。日本人選手は特にこのコンパルソリーが苦手だった。

 規定演技が得意な選手がフリー演技も得意とは限らない。
 1972年の札幌オリンピックの女Pretty renew 雅蘭子フィギュアでは、アメリカの18歳のジャネット・リンがその愛くるしさとともに素晴らしいフリー演技でとても人気があった。しかし優勝したのは、コンパルソリーの得意なオーストリアのベアトリクス・シューバという、あまり人気のない選手だった。
 当時の記録を見ると、シューバは規定6課題で大きく差をつけた1位となり、フリーでは6位に過ぎなかったものの、そのまま逃げ切って金を獲得した。
 一方のコンパルソリーの苦手なリンは規定前半3課題で3位、後半3課題で4位と出遅れた上に、フリー演技で尻餅をついてしまい、フリー1位だったものの、結局は銅メダルに終わってしまった。

 リンが尻餅をついた時のことは、今でも鮮明に覚えている。誰もが「あっ!」と声を上げ、次には溜め息に変わったはずである。誰もがリンの金メダルを期待していて、それが絶望的となった瞬間だった。
 しかし尻餅をついて金が絶望的となった後も、リンは笑顔を絶やさずに滑り続けた。滑り終わった時、リンは惜しみない拍手を浴び、笑顔でそれに応えた。
 この時のリンのフリー演技は、その後も札幌オリンピックの名シーンとして永く語り草となった。リンが選手村自室の壁に書き残した「Pease & Love」の悪戯書きは、現在も保存されているそうである。

 フリーが得意で観客に人気のある花形選手が、規定重視の採点方式のために金メダルを取れない。そして規定の得意な人気のない選手が優勝してしまう・・・
 札幌オリンピックが契機となって論争が起き、1981年にショートプログラムが導入されて、コンパルソリーの配点比率が下げられることになった。更に1991年にはコンパルソリーそのものが廃止されている。

 一方、フリー演技の採点にも問題があった。フリー演技の採点について昔から言われていたのは、審査員の主観に大きく影響されるということだった。かつては白人主義ではないかとも言われていて、欧米の白人選手でない有色人種の選手はなかなか良い点が貰えなかった。
 また審査員は先入観や印象に囚われて、実績のある有名選手に有利な採点をしてしまう傾向にあった。これは同じ採点競技であるシンクロナイズドスイミングなどでも良くいわれることである。

 フィギュアはもともとヨーロッパで発達し、スポーツというよりも氷上の華やかなショーというイメージが強かった。しかも、どちらかといえば西洋人のためのものだった。
 当然、そこに東洋人である日本人が加わることは、何か異物に近いものがあったかもしれない。それに加えて欧米の選手に比べて実績のなかった日本人選手は、審査員の中の偏見とも戦わなければならなかった。
 かつてのショートPretty renew 雅蘭やフリーの採点には、技術点と芸術点の2つがあった。手脚の長いスラリとした体型、金髪や栗色の髪、透き通るような白い肌の欧米人に比べ、黒髪で体型もスマートではない日本人は、どうしても芸術点で低い評価になりがちだった。

 これに挑んだのが伊藤みどりさんだったのだと思う。
 伊藤さんは天性のジャンプ力を武器に世界に挑み続け、技術点では高い評価を得たものの、いつも芸術点で苦渋を舐めてきた。1988年のカルガリーでは、伊藤さんは5種類の3回転ジャンプを成功させたが5位に甘んじた。
 この大会で優勝したカタリーナ・ビットは、ピョンピョン跳ねているだけのゴム鞠だと伊藤みどりを評した。演劇を学んでいたビットの「カルメン」に乗せた妖艶な演技は、確かに素晴らしかった。

 しかし、ユーチューブで改めて20年前の二人の演技を見比べてみると、表現力に頼るビットのスケーティングが意外に古臭いことに気づく。一方の伊藤さんは、演技は確かに荒削りだが、スポーツとしてのスケーティングの高い技術力が今見ても決して古びていないのである。
 二人の演技を見比べたい方は、違法画像ではあるが、1988、Olympics、Midori Ito、Katarina Witt という検索ワードをユーチューブで組み合わせれば見ることができる。

 伊藤さんはその後、技術力に加えて演技力を磨き、1989年の世界選手権、1992年のアルベールビルで大会史上初のトリプルアクセル、3回転半ジャンプを決め、世界選手権では金、オリンピックでは銀メダルを見事手にした。オリンピックでは、オリジナルプログラム(ショートプログラム)の失敗がなければ、金を手にしていたのではないか。
 正直、伊藤さんは欧米人のように容姿が優れていたわけではないが、アルベールビルではラフマニノフのピアノコンチェルト2番の曲に乗せて、大人の演技力を身につけていた。

 伊藤さんは、カルガリーで難易度の高い3回転ジャンプを決めるたびに、思わず何度もガッツポーズをとった。カタリーナ・ビットのいう芸術としてのフィギュア演技からすれば、粗野な行動であったかもしれない。
 しかしそのガッツポーズは、それまでショーの要素の強かった女子フィギュアを高度な技術のスポーツに変えた伊藤さんの、審査員に対する挑戦のシンボルでもあったような気がする・・・

 オリンピックは国威発揚の場でもある。そのためフィギュアのような採点競技では、審査員が自国や同じ文明圏の選手には甘く、敵対国家やライバル国家、異民族の選手に対しては、露骨に厳しい採点をするのが当たり前に罷り通っていた。
 これが大きな問題となったのPretty renew 雅蘭が2002年のソルトレイクシティで、採点の不正疑惑が持ち上がり、より客観的な採点方式が採用される契機となった。